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SNSやニュース、報道番組を開けば、「伝統として絶対に維持すべきだ」という強固な意見や、「時代遅れだからなくしてしまえ」といった極端な声が飛び交っています。
でも、私自身の素直な感覚は、そのどちらでもありませんでした。「絶対に維持しなくては」とまでは思わないし、かといって「今すぐ打倒すべきだ」とも思わない。もし将来的にこの制度が消滅に向かうのであれば、それは一つの時代の要請として、自然な形として受け入れていくのだろう。そんな、ある意味で「結論の先送り」のような、グラデーションの真ん中にいる自分に気づいたのです。
答えのない事態に耐える力「ネガティブ・ケイパビリティ」
人の心の発達や生き方の選択に向き合っていると、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉の重要性を感じることがよくあります。これは、答えの出ない事態や不確実な状況において、拙速に白黒をつけず、モヤモヤとした曖昧な状態に耐え続ける力のことです。
皇室という初代と伝えられている天皇から約2,600年続いてきた途方もない歴史を持つシステムに対し、現代を生きる私たちが今すぐ「0か100か」の答えを出すことには、かえって危うさを感じます。
「システム」と「個人の尊厳」の間で
かつての歴史においては、個人の感情を犠牲にしてでも「血の論理」を維持することが不可欠だとされてきました。しかし、現代社会において、特定の家に生まれたというだけで基本的人権が制限され、職業選択の自由もなく、途方もない重圧の中で生きることを強いるシステムは、個人の尊厳やライフデザインという観点から見て、やはり大きな矛盾を抱えています。一人の人間の人生を、国家のシステムに従属させることへの限界が来ているのは間違いありません。
喪失と解放を味わいながら、歴史は続く
だからといって、無理やり制度を壊すのではなく、時代とともに自然と変化していくのを受容する。万が一、将来的にこの制度が自然な終わりを迎えたとしたら、日本社会は間違いなく深い「喪失感」を抱くでしょう。長く拠り所にしてきたものを手放すのですから、当然の揺らぎです。
しかし同時に、特定の誰かに自己犠牲を強いる構造からの「解放」も味わうはずです。一つの物語が終わっても、そこからまた新しい価値観や生き方が再構築されていく。人類の何十万年という歴史のスケールで見れば、それもまた、社会が成熟していくためのひとつの過渡期に過ぎないのかもしれません。
「絶対維持か、打倒か」ではなく、「喪失と解放を味わいながら、歴史は続く」。
結論を急がず、時代の大きなうねりの中で起きる自然な変化を、しなやかに受け入れていくこと。不確実な未来に対して心を開いておくこのスタンスこそが、これからの私たちに必要な「ネガティブ・ケイパビリティ」なのだと思います。
皆さんは、この答えの出ないテーマについて、どんなふうに感じますか?









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