第4回 転機2-父の病気_1

演劇は、創立から15年くらい経つ小劇場系の劇団に所属し、活動を行っていました。

学生時代とは違い、プロで活動していこうと思ったら

アルバイトで生計を立てつつ
芸を磨き
演劇はお客様がいて成り立つものなのでチケットを売る必要がある

という現実に打ちひしがれたものです。リアリティショックというやつですね。
自分で選んだ道なのに、当時は三重苦と表現していました。

また所属劇団の主宰兼演出家が厳しい方で、稽古では容赦ないダメ出しに、自分が否定されたような感覚があり、萎縮してしまって、思うように自分を表現できなくなってしまったという悩みもありました。

それでも、劇団に所属していたおかげで経験できることも少なくなかったため、
やれるだけのことはやっていこうと思っていた劇団員2年目の秋ごろのことでした。

父の病気が発覚しました。予後不良で余命が宣告されていました。

それまで仲が良いとも悪いとも言えない、いたって普通の親子関係だったと思いますが、病気であることを知って以降、心配でたまらなく、心ここにあらずのような、上の空のような、何をやっても考えてしまう状態でした。

後悔しないことは何だろう

父も母も、帰ってこいと言ったわけではありません。

私自身が不安定な身分で心配をかけていたことと、家族全員で過ごすのは最後のチャンスだと思い演劇活動を休止、実家のある鹿児島へ帰郷することを決意しました。​

父のためになぜ自分のやりたいことを中断することができたかというと、

父は船のエンジンを動かす機関士の仕事をしていました。
いわゆる船乗りで、1年の内10ヶ月を船で過ごすという働き方をしていました。なので、家族全員で過ごした時間は私が18歳までの間で、実はトータルで5年もなかったのではないかなと思います。

幼い頃は、あんまり家にいないもので、久々に会った父に人見知りしてたっけな。

船乗りは海を相手に危険が伴う仕事です。おかげで稼ぎが良く、お金に関して何の苦労も知らないまま育つことができました。

一緒にいることが親孝行で、親孝行できるのは最後のチャンスだと思ったのです。

振り返って

もしこの時、安定して充実した仕事をしていたら、演劇を辞めなかったのかなと思った時期もありますが、この時間でしかできないこと取り戻せない。

その時どきで大切にしたいことを選び、ブランクがあっても、もし次に何かやりたいことが出てきたら、いつでも再スタートがきれる世の中だったらいいいなと思います。

 

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サニー
「私なんて」という呪縛、ここで一緒に手放しませんか? 劇団からIT系まで多様な業種を渡り歩き、正社員から派遣、契約社員まであらゆる働き方を経験してきました。だからこそ、現場でぶつかる泥臭い壁や「言葉にできないモヤモヤ」に共感できます。 国家資格キャリアコンサルタントの知見に心理学の視点を添えて、絡まった心の糸を解きほぐすお手伝いをしています。ちいかわに癒やされ、日々を生き抜くヒントを学ぶ40代。 座右の銘は「わたしたちはいつだって時代のフロンティア」。 ここから、あなたらしい物語を一緒に紡ぎましょう。