第1回 場所-生まれ育ったまち、育った家・受けた教育

パーパス探求

場所-生まれ育ったまち:海の匂いのする田舎

私は、鹿児島県の薩摩半島の端っこの街で生まれ育ちました。
10歳の時に両親が隣町に家を建てて、引っ越しと転校をしたことがありますが、どちらの街も海に近く磯や港、海の匂いのする田舎がふるさとの原風景です。
コンビニができたのが、90年代になってから、映画など文化的な娯楽を求めるなら、県庁所在地である鹿児島市まで出る必要がありました。
住んでいるところから鹿児島市まで出るのに、峠を2つ越えなければならなかったのですが、18歳で関東に出てきた時に、関東平野が続く地理に、平野は山を切り開く必要がない点で、都市が開かれていくアドバンテージだなと感じたことが印象に残っています。

育った家・受けた教育

教育熱心な母により、4歳から公文式・クラシックバレエ・ピアノと習い事をしていました。
どれも後の人生に影響を与えていて、母には感謝です。
母からは、好きに自由にしなさいという教育方針であったと受け取っています。
習い事の一つのバレエは大好きで15歳まで続けました。
今になって思うのは、当時、中学生になったら学校の部活をしなくてはならないという思い込みにより、厳しい練習の割に上達しなかったソフトテニスより、大好きなバレエを優先すればよかったなと思うこと。
いろんな選択肢があっていいのに「思い込み」で選択肢を狭めてしまった記憶として刻みます。
8歳頃の記憶で、両親とのおしゃべりの中で、父親が「女の子だから教育は要らない」という言葉が強烈に残っていて、そこから男の子に勉強で負けたくない、絶対東京の大学に行くのだと自分に誓いを立てました。
私には一つ年下に弟がいます。
大学進学に関しては、弟も同じ条件で、父親からは「国公立の大学にしか行かせない」で、
8歳の記憶は「女の子は」が引っかかったのですが、父は男女で差別はしていなかったのかも、
と思ったりします。

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